にこ(ホメオパス)と8のにく球


by nico2260

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリ

全体

お気に入り


ホメオパシー&ショップ

エキサイト外のリンク

お気に入りブログ

パンダから君へ
写真家の犬 ーle ch...
フラットコーテッドレトリ...

ブログパーツ

ライフログ


クリスタル☆ドラゴン (1) (ボニータコミックス)


ダメ犬グー―11年+108日の物語


アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)


セアロ108の言葉 改訂版


黎明〈上巻〉


何と言う


Fantastic OT9


Caramel Milk 〜THE BEST OF CHARA〜


音タイム


日々のあわ


Closing Time


Supernatural


ドリーム・ソルジャー

検索

以前の記事

2012年 09月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2008年 06月

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧

風のかたち~小児ガンと仲間たちの10年

本題に入る前に・・・、
ゴールデンウィーク中はプリン工房・遊さんは、
お休みせず営業するそうです。
なので、セレクト・ショップ『Breath』もオープンしておりますw

さて今回は、知人が自主上映を企画しました、
ドキュメント映画上映のお知らせです。

多くの方に、小児ガンの現状を知ってもらいたいと、
2009年に単館上映された『風のかたち』を自主上映します。

小児ガンは現在高い確率で治る病気と言われてきています。
闘病中の子供たちが10年という時間の中でみせる様々なあり方を、
フィルムにおさめているようです。
病気と向き合い日々を過ごし、沢山の交流の中で
病気の子供たちや、彼らを見守る人たちがみせる、
いのちのちから、生きるちから、
『希望』を感じることができる作品だと思います。
しなやかに、そして強く生きる子供たちに会ってみてください。

ご興味のある方は是非ご友人などお誘い合わせて足をお運びください。
小学生以下は無料ですので、お子様もご一緒にどうぞ!

チケットの前売りを販売しております。
ホメオパシーセンター大分別府か、
こちらのコメントにて承ります。
ゴールデンウィーク中は、プリン工房さんでも販売いたします。

チラシもございますので、
ご覧になられたい方はその旨をお伝えください。

また、
ご友人や仲間に、
お店などにチラシを貼らせて下さる方など、
この企画をご紹介下さる方がいらっしゃれば、
何部か郵送させていただきますので、
是非よろしくお願いいたします。

もちろん、劇場でも販売中です。

***************************************************

ドキュメンタリー映画 
風のかたち』~伊勢真一演出作品 
監督:細谷亮太・月本一郎・石本浩市

2010年5月29日(土)
別府ブルーバード劇場 2階(JR別府駅東口 徒歩3分)
地図

前売:一般800円 中高生500円 小学生以下無料
当日:一般1000円

上映時間

10:30~12:15 上映監督トーク
13:30~15:15 上映監督トーク
18:00~19:45 上映監督トーク

20:00~伊勢かんトーク 定員30名(お茶代500円)要予約

主催:ヒューマンDFプロジェクト別府
電話:0977-24-6299(中野)
[PR]
# by nico2260 | 2010-04-28 23:53 |

<転載>探求者の本当の望みはどこにあるのか?

月音さんのmixi日記からの転載です。

ホメオパスという職業で、
クライアントさんと関わっていく中で、

その前に、
わたしはどうしたいのか?
どうありたいのか?
まず、私がわたしでなければ・・・・。
私がわたしでありたい。

ということをずっと考えてました。
というか、考えてばかりで行動できてなかった点もあります。
今は、腹をくくり、1人のセラピストとして一歩一歩進んでいます。
そんな中、この文を読みました。

他のかたのコメントもとても感慨深いものです。
その方々のコメントはここには載せていないので、
mixiをされてる方は、
是非
mixi日記をご覧下さい。

***********************************************************


今日は、スピリチュアル・カウンセラーの立場からの考察です。

後半はちょっと難しいと思うので、必要だと思う人だけ、ご覧くださいね。


十数年、私は俗に言われる「スピリチュアルな世界」というカテゴリーを学び、同時に観察してきました。
その過程で、気づいたことがあります。

それは、人々のスピリチュアリティへの未分化な捉え方についてです。

昨今、スピリチュアル・ムーブメントのごとく、多くの人が見えない世界に興味を持ち、精神世界本を手軽に紐解くようになりました。
そんななかで、各人の動機は様々で、その目的も多様です。

例えば、

自分を変えたくて、本当の自分らしさを知って人生を生きてみたいと、スピリチュアルに関わる人。

平和や幸せを望み、ワンネス(一体感)を感じたくてスピリチュアルに関わる人。

ご利益モードで、自分にとってラッキーなことが起こることを期待してスピリチュアルに関わる人。

見えない世界に興味があり、魔術やサイキック・アプローチで、自分の潜在的パワーを感じたいためにスピリチュアルと関わる人。

現実逃避か否か、ファンタジー天使世界にチャネリングしながら、スピリチュアルと関わる人。
厳しい社会を生き抜くために、啓発心を培い、自己コントロール術を学ぶためにスピリチュアルと関わる人。

内側から突き動かされる生命・宇宙の根源的な問いに向けて、悟りを目的にしてスピリチュアルと関わる人。


等々、この手の分類をしたらキリがないですが、実際には、これらのスピリチュアリティはそれぞれに質が違い、目的地も違います。

その目的地が全く違えど、同時に複数のルートを歩む人もあります。

そして、とても面白い!と思うのは、私のこれまでの体験からすれば、どの道が正しい、優れているというものはなく、また、全部のルートを体験するわけでもなく、すべてのプロセスは、人、あるいは魂が望む「体験」という行為に単純に落とされていく・・・ということです。

言い換えれば、複合的要素を含むとはいえ、体験自体が、魂の望みであると言えなくもないのです。


そうは言うものの、このように、同じスピリチュアルに関わるにも、目的意識の差が多様であるという背景に気づかない人からすれば、実際に足を踏み入れていくと、かなり混迷していくように感じられるかもしれません。

「いろんな人がいろんなことを言うから、何が本当かがわからない。」

「欲は捨てなくちゃいけないの?」

「修行はもういらない、努力はしなくていいと言うのだけど?」

「あるがままって、今のままでいいってことなの?」

等々。

このような場合は、自分がどのような歩み方をして良いのかが理解できないままで、「なんとなくスピリチュアル」の状態で、周りに流されてしまっていくかもしれません。

現実として、目的地がわからないままで導こうとするセミナーやワークショップ、各種セッションも多々見受けられることもあり、このような迷える子羊たちの群れは、セミナーやセッションを渡り歩き、荷物を減らすどころか、結局は情報という大荷物を背負ってしまう始末です。

そんな中で、例えば、悟りを求めていない人が「自我の死」を紐解くような啓発本に出会ったら、どうなるでしょう?

「自我の死」とは、探究者たちの道であり、現世利益を少しでも求める人には開かれない扉の先にあるものです。

「私とはいったい何者か?」「自分は一体どこへ行くのだろう」という自己への問い。
「世界のからくり」「宇宙の仕組み」という意識への問い。

このような根源的な問いに誘われ、意識の全容を垣間見たいと願った探究者は、根源意識に向かうという性質上、必然的に「生と死」に直面することになり、観念上の「世界というメタファーや夢」を捨てざるを得ないプロセスを経ていくようになります。

これが、悟りの道を選んだ探究者の「自我の死」へのプロセスです。


そんな探究者たちの極めて厳しい道を記した本を「意識が高いから」と言って、好奇心からテキストに選んだ場合、場合によっては、鬱状態になります。厭世的になったり、反社会的になります。エネルギーは低下し、虚無感に落ちるかもしれません。

なぜなら、悟りの道を究めようとする人は、「あらゆる欲望、執着の終焉」というプロセスとどうしても直面しなくてはならないので、自我が落ちるまでは、強靭な自我意識がないと、そのリアリティに圧倒されて、精神が病的に崩壊してしまうからです。

スピリチュアリティにおいて、完全な自我の死を迎えるには、強靭なメンタリティと徹底した客観性が必須であるという事実に、ほとんどの人は気づいていません。

自我は弱めて消えるような性質ではないので、勘違いして意図的に自我を弱めてしまえば、生命力と意識力は低下してしまいます。


このような厳しい背景があるにも関わらず、探究者のこのプロセスを好奇心旺盛な「探求者」向けに開かれてしまった本が、一般の書店でも容易く手に入ってしまうのです。

これでは、「天国」に行きたかった人が、「聖典」を手に入れて読んでいたら、天国に行けないことを知って、生きることに絶望して死んでしまった!という、笑うに笑えない話になりかねません。

オーラの江原さんの本と悟りの本が隣同士で並ぶ・・・・これが昨今のスピリチュアル世界の現状なのです。


本来、生命や宇宙への根源的な問いは、内側から突き動かされる形でやってくるので、それに従えばいいわけですが、これをどうしても知的にでも紐解きたい!という「探求者」の方は、先に書いたことをしっかりと意識に留め置けば、「この世」的な失敗はおそらく起こらないでしょう。


それからこれは、またひとつの例ですが、自己卑下が残っている人は、「スピリチュアル」に首を突っ込む以前に、社会での自己実現を先に済ませた方がベターな場合があります。

特に、未来のライト・ワーカーやスピリチュアル・リーダーはここは重要です。「クリスタル・チルドレン」や「インディコ・チルドレン」などという名のもとで、人間的成熟前に社会的機能からアウトローするのを許してしまうのでは、今後のこの世界で働くには片手落ちになってしまいます。

社会的自己実現で、健全な欲望を落としておかないと、スピリチュアル的なエネルギー変化が起こる時点で、それが欲望としてのエゴに変換されて爆発しやすくなるという危惧もあります。

極端な例で言うなら、かのオウム真理教教祖の失敗は、このようなからくりで、潜在するあらゆる欲望が肥大化して顕在意識に浮上して、コントロールできなくなり、自分に降りかかったわけです。


自分の力を試したい!というのは、健全な人間的欲求で、何も悪いことではありません。
これは社会においては歓迎されるものです。
この欲求を単純に悪いものだと抑えず、自分の可能性をどんどん引き出して、欲しいものをまず手に入れていくといいと思います。

そこを味わい切った後に、もしも「内からの欲求」があれば、探究者にはそのとき初めて意識の扉が開くことでしょう。


話は少々難しくなってしまいましたが、「自分が本当は何を望むのか?」。

これをはっきりさせないと、実践していった途中で、意識の大海に溺れたり、「なんとなくスピリチュアル」に流されてしまうことになりかねません。

そんな体験をしたいなら構いませんが、長年スピリチュアリティを学んでいて一向に進まないと嘆いている人は、まずはそこを再確認されてみては?と思います。
[PR]
# by nico2260 | 2008-06-14 10:47 |